みなさんの大学の教授ってどんなひとが多いですか?
「教授」という職業はどうやら世間一般の常識からしばしば逸脱することが許されるらしく、個性的という表現で収まる範囲ならまだしも、教えを請う側として本当に迷惑をこうむることがあります。僕の指導教官などがその典型的な例ですが、いずれにせよ、優れた研究者が必ずしも優れた教育者であるというわけではないのです。
従って、僕はこれまで大学教授を生業としている人間が大嫌いでした。
机上の空論ばかりを書物の上でねじくりまわして満足している彼らを見て、この人間達が、仮に失職して、現在の厳しい労働市場に放り込まれたら一体どれくらいの価値があるというのだろうと、常々思っていました。特に実社会では全く役に立つスキルすら持たない文系学部の教授達は、全く面白みのない授業を全く面白みをもてない学生に延々と続け、自己名誉のために、せこせこと論文を書く日々・・・。結局のところ、教授なんて「学術」という名のせいで、無駄にプライドが高いだけの俗物じゃないか。
・・・そんな考え方がある方との、たった一回の出会いで大きく変わりました。
その日、僕はキャリア関係の立食パーティーに先輩内定者として出席していました。現在、就職活動中の学生も20名ほど来ており、僕の少ないながらも就職活動の経験とノウハウを後輩達に話したり、最近シアトルでの留学から帰国したばかりの高校の同級生との再会を楽しみました。
会も終わり、僕と、同じく参加者であるshige、そして会の企画者であるhissyは小腹が空いていたので、駅の近くで軽くご飯を食べていました。
すると、hissyが、「先生が店にくるから、コーヒー淹れて欲しいってさ」と言う。
店とは、本山にある学生だけでその経営や運営を行っている「カフェ・エスト」のこと。ここでは、しばしば僕が所属している学生団体の飲み会などに利用され、今回の立食パーティーの会場もここでした。そしてhissyは、そのカフェのフタッフであり、先生とはこのカフェの経営に個人的に出資している某大学の教授だそうだ。
終電も近づいていたが、shigeが車で送ってくれるということで、僕達は再びカフェに戻った。
到着して、しばらくすると、その先生が登場。予想以上にガタイがいい。それもそのはず、この教授は大学の相撲部顧問だそうで、実際に部の創設者でもあるそうだ。
僕とshigeとhissyと教授以外は誰もいない、暗くて、静かなカフェで、マスターであるhissyがマンデリンを淹れてくれました。
簡単な自己紹介のあと、教授のトークは始まった・・・。
大学の相撲部の歴史や他大学との試合、
エルメスで購入した馬具の話、
企業におけるCSRの重要性とSRI、
ヒューレット・パッカードのヒューマニスティックな経営手法、
大学の教育システムの問題点、
マクロ経済的な視点からみた投資対効果、
フランスの某エリート大学MBAでの英語導入について、、、
やべぇ・・・マジおもしろい!(mtk)
最初は睡眠不足で話半分だったが、どんどん自分が話しに引き込まれていくのが分かりました。脳細胞をガンガンに刺激してくる。もっと話を聞きたい、質問したい、理解したい、そう思う自分がちょっと恥ずかしいような嬉しいような。素人な僕の質問にも的確で分かりやすい答えをちゃんと返してくれる。
教授が帰った後、shigeと僕は興奮しまくり。早速、hissyから連絡先を聞いて、メールを送っちゃうぐらい、もう一度会って話を聞きたいと思いました。いわゆる、教授と言う人間の話を聞いて知的興奮を覚えたのは、大学入学以来始めてのことでした。hissyによると、教授は大学の中でも異端視されていて、かなりのアウトサイダーのようです。失礼ながら確かにそんな雰囲気はあったけれども、むしろそういう印象が、「長いものには巻かれろ」的な世間一般の教授とは違って、僕にとっては非常に好感が持てるものでした。
こんな教授ともっと早く出会いたかった。
またお会いしたいです、細谷大先生!
みなさん、あけましておめでとうございます(遅!)。
つい先日まで卒業論文に追われ、なかなかブログに投稿する時間がありませんでした。いや、時間はあったんだけど、する気になれないというか…。で、結局、卒論は終わったのかというと終わっていません。教授の指導のもと、かなり激しい裏技を駆使して、事務的には既に提出済みということになっていますが、実質的にはまだやるべきことが残っているのです。
そう、僕個人としては卒論は「完成」しているけど、それを教授が認めてくれないのです。僕のゼミの教授は恐らく大学一偏屈で変わり者なのですが、卒論のやり方も並大抵のものじゃ許してくれません。まず、最低文字数は4万字。まぁ確かに多いですけど、これは正直なんとかなります。今までかなり多くの文献を読んできましたしね。
しかし、最も大きな問題は…
論文を一度、原稿用紙に書かなくてはいけない
ということです。
つまり400字詰め原稿用紙100枚ですね。これをPCで清書するまえに書けと。
・・・っていうか、無理無理。PCで打つだけでも大変なのに。
しかし、それだけではないのです。
原稿用紙に書くまえにノートに書かなくてはいけない
いや・・・もう・・・ホント、無理。つまり、ノートで最低4万字以上⇒原稿用紙4万字⇒PCで作成という、まず他の大学では考えられないようなプロセスで仕上げなくてはいけないのです。マジありえない。12月の時点でこのプロセスを聞かされた僕は愕然として、「そんなことやってられねーよ!」ということで、最初からPCで卒論を作り始めたわけです。まぁ、そうしたら案の定の反応というか、もはや論文すら見てくれない(涙)。もはや、正月どろこじゃなかったですね、ハイ。
そんなワケで僕の卒論は振り出しに戻るって感じでしょうか。アハハ。
最近忙しいので手抜き。
以前ご紹介したPax IV HyperのBlogでエントリーしたものを再利用…。このブログの書き手は某電気機器メーカー研究所勤務の先輩で、ボーイスカウトの国際協力プロジェクトのパイオニアです。なかなか面白いのでよければ覗いて見てください。
現在、僕は卒業論文に取り組んでいる。
テーマは「企業経営における分業の経済的機能と道徳的機能」である。分業(協業)を論文のキーワードとし、既存の分業研究を経営学・経済学と社会学にまたがって把握し、それらの一元的な理論統合を試みている。具体的には、これまで分業はその効率性及び生産性の向上など経済的側面のみが強調されて理論が展開されてきたが、それだけではなく、社会学的なアプローチも含めて分業を総合的な観点から把握するというのが卒業論文の趣旨である。
従って、研究範囲はアダム・スミス、マルクスなど国民経済学からバーナードなどの組織管理学、さらには代表的な社会学者であるエミール・デュルケムの社会分業論と、非常に広範に渡る。
以上が論文の概要となるが、要は分業・協業が人間に一体何をもたらすのか、ということである。
ある作業工程を細分化し、各々の労働者に分配することで、その労働者は特定の作業に集中することが可能となり、経験や知識が蓄積される。その結果、作業効率は上がり、確実に生産性は向上する。これは経済学・経営学の常識である。
しかし、分業がもたらすものはそれだけなのだろうか。分業の心理的・精神的影響に着目したのが前述のデュルケームである。
彼の説によると、分業により作業が細分化される。当然分割後の作業は各個人で異なるため、組織全体として何かをなし遂げるためにはお互いの協力や連携が必要不可欠になる。このような非類似性から個人間に連帯感が発生し、まるで有機体の器官のように密接に結合しあっている状態が生じるとデュルケムは言う。これを有機的連帯と呼ぶ。しかし、この理論は1世紀以上も前のものであり、ジョルジュ・フリードマンにより完全に否定されている。確かに製造業における単調なライン作業ではこのような連帯感が発生するとは考えにくいが、例えば非製造業のサービス業、またはプロジェクトチームなどといった局面では十分に考えうると言える。
ボーイスカウト、アイセック、学生団体においても分業・協業は作業効率化の手段として使われる。ボーイスカウトの多くの海外プロジェクトでは、業務を「クルー業務」と「プログラム業務」に分類し、メンバーは両業務から一つ特定のタスクを兼任するというマトリクス型組織を構成している。
では、このような非営利組織においても分業が果たして参加者間に連帯感を生み出しているかというと、正直その判別は非常に困難である。というのも、組織内で特別問題が生じない限り、構成員間に連帯感は生じるが、それは数多くの要因によって為されているのであって、全てを分業に帰すということはできないからである。
みなさんは、非類似的な分業・協業が連帯感を生み出すと思いますか?営利組織・非営利組織に関わらず、経験に基づいたご意見を頂けると幸いです。もちろん、理論的誤の指摘や批判なども大歓迎です。
突然ですが、人生相談局へのお便り。
Q:卒業論文の研究範囲が社会学と経営学にまたがり、精神・思考が錯乱してきました。どうすればいいでしょうか?(愛知県在住21歳男性)
取捨選択、
人生において常に必要な事です。
迷った時はまず切ります。
切って切ってきりまくるのです。
いやいや、こんなシンプルすぎるんじゃ卒論にならない
なんていい子ぶった考えは捨てて
とにかく切りまくります。で、いや、まとまったけど、これじゃもの足りな過ぎだろ
と思い始めたら
恐る恐る付け足し始めるのです。
でも決して欲張ってはいけません。
常にリカバーがきくように、一つ前の状態に戻れるように
頭もファイルもチェックポインティングしておきます。卒論とは、これ後ろ向きの積み重ねなり。
えーと、これはメッセの生ログです(笑)。
僕の精神状況が卒業論文で錯乱している時に、ちょうど一年前に修論でひぃひぃ言ってて、みんなにアイツは絶対卒業できないと言われながら、ぎりぎりでソニーに言った偉大な先輩にメッセで聞いたら、こんな答えが返ってきました。メッセにしてはあまりに完成された文章だったので、本人の許可は取ってないけど勝手に掲載なり。
ふぅー、論文、論文、論文。こんなことしてるばあいぢゃねー。